↓↓『弾丸列車』再軌道ライブは6月25日金曜日.南青山マンダラにて↓↓



『About Us』の変わりに・24gakiインタビュー
その1『異種格闘技のライブパフォーマンス』
(2010年03月12日号)

弾丸

弾丸列車て、何?て聞かれたら、何と答えます?。

西垣

『異種格闘技のライブパフォーマンス』。

弾丸

異種格闘技?。

西垣

音楽家だろうが、役者だろうが、同じ舞台にあげちゃう。的な。
カテゴリー分けをした方が解りやすいかもしれないけど、僕の中には「表現者」なのね。みんな。

弾丸

表現者?。

西垣

そう。
よく「アーティスト」という言葉を平気で使う歌手がいるけど、あれは、まったく別次元。自ら言うやつは馬鹿だと思うし、使うスタッフも馬鹿だと思う。ま〜そんなことを言い始めるとブラック・ガッキーが出てくるので止めるけど、自分の中でクリエイティブな表現で生業をしようとしている人を『表現者』と呼ばせてよ。

弾丸

はいよ。で?

西垣

そうした表現者が舞台上で互いの技を出し合う。ていうのが理想かな。

弾丸

まずは、1stシーズンの設定の話しなんだけど「架空の海賊ラジオ放送局『AGonGO』の人気深夜番組『弾丸列車』の生中継ライブ」てどこからの発想?。

西垣

まず枠を作ろうと思ったのね。

弾丸

枠?。

西垣

そう。
「何でもあり」というのは実は難しいことで、何かの「縛り」や制限のあることで創意工夫が生まれるというかね、不自由さがある方が「何とかしよう!」する創作の発想が産まれ安いと思うんだな。

弾丸

不自由ね。

西垣

「好きにして」というより、舞台上での設定をしてあげた方がアイデアが出しやすかったりするんだよね。ある意味、「不自由の中での自由」ということかな。
1stシーズンの場合は、それを「ラジオの海賊放送局『AGonGO』の人気深夜番組『弾丸列車』の生中継ライブ」ということにしたのね。
実際、会場内にFM電波の送信機を置き、ライブ中、77.7MHzという電波をライブハウス内に流して、携帯ラジヲを持参して頂ければ、そのライブ模様がラジオでも聴けるということも行っていた。

弾丸

なぜ、ラジオ番組だったの?。

西垣

まず最初に当時の南青山マンダラのマネージャーの小倉さんに「音楽ライブじゃなくて実験的な大人の夜遊びライブをしたいだけど、やらしてくれない」て相談したんだ。

弾丸

はい。

西垣

南青山マンダラって基本は音楽を演るライブハウスだからさ。ちょっと想定外の相談だったりしたわけ。
ただ、今はなくなった渋谷ジャンジャンもそうだったけど、南青山マンダラのグループ本社というか吉祥寺曼陀羅も、パフォーマンスものはやっていたからその辺りの理解はあったんだ。で、相談している中で、「実験的なライブをするなら深夜辺りなら出来るかな・・・」的な返事をもらったのね。
で、「深夜」という中で最初にイメージしたのがジョージ・ルーカス監督作『アメリカン・グラフィティ』。

弾丸

ハリソン・フォードがちょい役で出ていたやつだ

西垣

そう。ハンソロ船長の前ね。
映画はベトナム戦争前、"1962年の夏"が設定の青春物語。そこにさ、映画の本筋とは違うんだけどラジオの海賊放送の話が出てくるわけ。当時のカルト的な人気DJだったウルフマン・ジャック本人が本人役でカメヲ出演しているんだけどね。ウルフマン・ジャックって小林克也さんのDJスタイルのネタものね、『ベストヒットUSA』の司会スタイルやスネークマンショーでパロってるけど。
その画がバ〜ンと頭の中で広がったんだ。
で、「深夜=海賊放送」のキーワードが出てきた

弾丸

海賊放送局?。

西垣

映画『パイレーツ・ロック』(2009年公開)でも描かれていたんだけど、昔はさ、電波は公共だったのさ。『パイレーツ・ロック』はイギリスの話しだし、ウルフマン・ジャックはアメリカの話しなんだけど、どの国でも、話す内容や流す曲、特にロックやポピュラーミュージックの放送が制限されていたわけ。政治に左右されていたわけ。そうした状況に反対して政府の無許可で放送を流していた放送局のこと。ビートルズもプレスリーも放送されない時代があったからね。

弾丸

日本での海賊放送局は?。

西垣

僕の記憶があるところでは、70年代後半に海賊放送ブームがあったかな。その辺りで僕も影響を受けるんだけどね。雑誌『ポパイ』で特集されたりしてね。自分たちで放送をする。て何かかっこよかった。今で言う、タウンFM局やミニFM局かな。まあ、その当時の雰囲気は映画『オレンジロード急行(オレンジロードエクスプレス)』(1978年公開。脚本・監督は大森一樹)を観てもらえればうれしいんだけどね。DVD化はされていないかもしれないけど。
話しを弾丸に戻そうか。


弾丸

弾丸の誕生て、まずは場所の「南青山マンダラ」ありきだったの?。

西垣

出演者や内容もそうだけど、僕の中ではそのライブをやる場所も重要だったのね。
椅子席のある小屋でやりたいと思ったんだ。今のライブハウスって、椅子が少なくて、"立ち”系が主流じゃないですか。あれって疲れるじゃん。目指している内容が「ウォ〜、イエッ!」じゃないからさ。
それに芝居小屋やイベント・ホールだと、常設している音響と照明の装置が自分がイメージするには劣ると思ったのね。
さらに、旨いもの食べたいじゃん。でも「ブルーノート」じゃないし・・・。とかね。座れて、食べて、音響と照明もそれなりに揃っている。ということならば・・・。「そうだ、南青山に行こう!」て。

弾丸

ははは。JR東海的にね。

西垣

初代の「南青山マンダラ」の小倉マネージャーには、お店が出来る前から色色と聞いていたからね。場所も外苑前だから、交通の便はいいかな。と。
後、「南青山マンダラ」のスタッフの質が高いからね。音響にしろ照明にしろ、いろんな対応をしてくれるからね。弾丸って、当日の仕込みリハでしか音響・照明スタッフとは合わせられないからね。そこで、こちらのイメージを短時間で理解してくれて、うまく表現してくれる『技量がある常駐スタッフ』がいないと成り立たない。

弾丸

細かい指示を出すわけ?。

西垣

構成台本上には全ての指示は書いてある。
照明に関しては全てマンダラのスタッフでやってもらっていたんだけど、指示は大きな感じで、色彩のイメージを書いていた。例えば、「深い青色を基調に。ここのシーンは星がまばたく透き通った夜空をイメージで」とかね。
ただ、音響については、細かいタイミング出しがあったから、舞台に音響装置をセットして、音楽担当のマキちゃんに操作してもらっていたけどね。スタッフ用には、「ここはステージで歌います。オケは舞台上の音響卓からCD出し」とかは書いてあった。

弾丸

かぶりものキャラが定番になったマキちゃんも活躍大ですね。

西垣

ははは。そう大です。もう大変です。
かぶりものはね、普通に舞台にいても楽しくないから、何か「かぶらない?」て。「古くはデビット・ボーイとかキッスの化粧してキャラが変わるみたいなかんじは、どう?」て、半分ごり押ししたら、何か気に入ってくれたみたい。

弾丸

南青山マンダラのスタッフへの台本は当日渡し?。

西垣

事前仕込みの問題があるから事前に構成台本を渡しているけど、合わせるのは当日のリハのみ。照明なら、実際の舞台をみて「おう〜、こんなかんじの色合いにするんだ!」とか思うね。

弾丸

当日「えっ?!」とかないわけ?。

西垣

こっちの意図がうまく伝わらない場合だよね。それは、僕の台本の書き方の問題になる。
センスの問題での「当たり」「外れ」がある場合もあるけど、「南青山マンダラ」のスタッフの場合は外れる頻度は低いからね。うまいチームだと思うよ。

弾丸

全体は決め込んでいるようで、何かセッションぽいね。

西垣

そうだね。JAZZのライブとかもそうだけど、決め事はあるんだけど、遊びがある。というかんじかな。そこが参加してくれるスタッフ側にとっての「緊張」と「面白さ」でもあると思うけどね。
実際のコンサート・ツアーとかになるともっと細かい打合せとシュミレーションを繰り返して、照明も音楽とシンクロした形でコンピューター制御しているけどね

弾丸

へえ。

西垣

照明の話だけど、色にも意味があるからね。突き詰め始めると奥が深いよね。照明というか、演出にしろ、舞台美術にしろ、すごく良いテキストがトーキング・ヘッズのライブ映像『ストップ・メイキング・センス(1984年)』。2ndシーズンでは、そんな舞台展開はしてみたいとは思っている。


(C)2000-.goodpopjapan.com.All Right Resereved.Sorry.This site is japanese only | お問い合わせ