↓↓『弾丸列車』再軌道ライブは6月25日金曜日.南青山マンダラにて↓↓



『About Us』の変わりに・24gakiインタビュー
『きっかけはシェークスピア』
(2010年03月13日号)


弾丸

1stシーズン当時、1日だけのライブじゃなくて、何日が続けての公演ていうのは考えなかったの?

西垣

「あれだけの時間を割いてライブを作るんだったら、1日じゃもとがとれないじゃん」と言われたこともあったけど。確かにそうなんだけど。う〜ん、どうだろう。芝居の舞台じゃなくて、ライブハウスでやる面白さって「その時、その瞬間を共有する行為」だとも思うんだな。お芝居とも寄席ともまた違う「生」感覚なんだけど。
難しいよね。
ただ、2ndシーズンは、それもありかな。とは思っている。

弾丸

連続公演?。2ndシーズンはありなんだ。

西垣

2ndシーズンは、演目や内容にあった公演スタイルというかね。いろんな展開があって良いかな。と思っていいる。場所も含めてね。

弾丸1stシーズンの最後の演目『さがし森』の三部作や『弾丸的四谷怪談』て、本当はちゃんとした芝居ものに仕上げていた方がよかったかな。とかね。今振りかえればそう思ったりする。
舞台とかの場合、積み重ねていくことで無駄を省いて行くじゃない。1ヶ月以上、ほぼ毎日の稽古の中で。
弾丸も芝居ぽい演目が増えれば増えるほど、出演者から稽古時間が「もっとほしい!」となったんだけど。当時の弾丸のスタイルでは処理しきれなかった。みんの都合やもろもろの関係でトータルで1週間くらいでのリハーサルで本番を迎えていたからね。

弾丸

最初の頃のライブは、深夜0時開場・25時開演。そして、ライブは始発まで。という約4時間半程のライブだったかと思うけど、2年目に入ってからは、「深夜から朝までライブ」の回数が減りましたね。
いわゆる通常のライブ営業時間になった。

西垣

最初の年は毎月1回「朝までライブ」スタイルをやってたんだけど、結果、会場にも出演者にとっても「2日つぶれる」ことになる場合が出てきてね。それぞれの都合で時間帯が移行していったかんじかな。

「朝までライブの良さ」って、地方の方も最終の新幹線で来ても間にあったらから、よくお越し頂いた。そんな良さもあったよね。
差し入れがうれしかった。美味しゅうございました。

弾丸

水下さんの御贔屓筋さんですね。

西垣

そう。ありがたかったですね。

弾丸

弾丸列車のようなライブをやろうと思ったきっかけは?

西垣

弾丸は2000年に動くんだけど、その数年前から、漠然だけど「単なる音楽のレイヴとかライブじゃないモノ。異種格闘技的に色んなエンター物にも反応が出来る出演者で構成するイベントが出来ないかな〜」と思っていたのね。

弾丸

ほう。

西垣

仕事柄、ライブとかコンサートとかよく見るじゃない。イベントもそうだけど。
実際、そうしたものの制作を手がけて、学生の頃から入れると当時で20年位になっていたからね。「飽きちゃた」のよ。

弾丸

飽きた?。

西垣

テレビの水戸黄門じゃないけれども、コンサートやイベントにも定番の構成があるわけ。
音楽コンサートだったら「盛り上げて、バラード、再度盛り上げて、その勢いでアンコール」といった流れがね。定番を否定する気はないし、定番の良さもあるじゃない。お客様も喜んで帰って頂けるわけだから。
ただね、作るスタッフ側としたら刺激がなくなるというか・・・。どんなに違った歌手のコンサートであっても先が読めるというか、冷めてみている自分がいてさ、ワクワク感がないから、楽しめないのよ。駄目だししている自分がいるからね。

中島みゆきさんの『夜会』シリーズの舞台があるじゃない。

弾丸

はい。

西垣

『夜会』は1989年頃から始まったと思うけど、あのスタイルって「音楽を表現する方法がコンサートやライブ形式だけじゃないんだ!」という可能性を示した舞台だと思うんだ。
でね、『夜会』まではいかないにしろ、ライブハウスクラスでも何か定番ものを壊せるようなものがないかな。誰か何かしないかな〜。と思ってたのよ。自分が演じるわけでもないからさ。
で、僕の周りにはいなかったからね。じゃ、自分がプロデューサーとして何か企てようと思ったわけ。

弾丸

なるほどね。
じゃ、今度はメンバーについて聞くけど、どこで水下さんと出会うの?

西垣

先に花組芝居さん自体と知り合っていたんですよ。加納さんとね。

弾丸

へえ、花組芝居さんとはどこで知り合っていたんですか?。

西垣

1995年(平成7年)に放映されたNHK BS2の『真夜中の王国-シェイクスピアの苦悩』という番組。
僕がその番組の制作現場のアシスタント・プロデューサーをやっていたのよ。その番組に加納幸和さんが出演して頂いた縁で知り合った。

弾丸

番組のAPですか、なんでもやってますね。

西垣

ははは。
その番組は5夜連続の番組でね、「シェイクスピアの舞台を手がけたことがある5人の役者が、再現V的な映像でシェイクスピア役で登場してもらい、それぞれのシェイクスピア論を論じてもらう」というものだったのよ。
その5人が花組芝居の加納幸和さん。市川染五郎さん。川平慈英さん。毬谷友子さん。上杉祥三さんで、加納さんの回は、花組芝居さんがやられていた『天変斯止嵐后晴』を基に加納さんなりのシェイクスピア論を話してもらった。番組中の再現Vでは花組芝居からも何人か出演してくれた。ただ、再現Vには水下さんは出てないと思う。
それが最初。で、それ以降、何かとつながっていったかんじかな。
水下さんと正式に話したのは2000年の頭の頃だったと思う。
自分が描くライブには優秀なパフォーマーが必要だと思っていたから、花組芝居のマネージャーさんに「ライブハウスで音楽ではないライブをしたいんだけど誰か興味を持ちそうな人は知らないですか・・・」的な相談をしたんだ。で、座員の中に自己企画で面白いことをしている役者がいるよ。ということで紹介されたのが水下きよしさんだった。

弾丸

そこで、水下さん登場だ。
その後のメンバーはどうつながっていくの?

西垣

まず水下さんに「動くスネークマンショーがやってみたい」「MONTY PYTHON'S的なライブ」とかの説明をしたのかな。
で「とりあえず、やってみて考えていきましょう」的に企画に水下さんがノッてくれて、第1回のライブの出演者の人選に入るんだけど、水下さんから「二枚目だけど面白い若手がいる」ということで各務さんを紹介された。
後のメンバーは、僕の音楽プロデューサー的なつながりで、マキちゃん。オックン。オランさんを巻き込んだのね。
そして、第1回の弾丸出演者は水下きよしさん、各務立基さん、マキちゃん(当時組んでいた音楽ユニットの『マインド・ボム』のジュンちゃんも当日参加での協力スタイルで)、オックン(当時はアマチュアだった『RAG FAIR』も出てくれた)。オランさん。


弾丸

マキちゃん。オックン。オランさんとのつながりは?。

西垣

マキちゃんは知り合いの音楽プロデューサーから紹介されたんだけど、佐野史郎さんのソロ・アルバム『君が好きだよ(1995年)』を作る際に制作現場をアシストしてもらった縁。

弾丸

佐野さん?。

西垣

佐野さんは冬彦でブレイクする前からの知っていたからね。
当時、僕が林海像監督の映画作品の音楽プロデューサーをしていた縁で知っていたのね。で、佐野さんがメンバーだったバンド「タイムスリップ」の自主アルバムをリリースする際に著作権管理とかもろもろ協力した流れで、ソロアルバムのA&Rをした。というか企画したというかね。そんな流れ。
話しは脱線するけど、初代の「南青山マンダラ」の小倉マネージャーとはその「タイムスリップ」というバンドを手伝っていて知り合うのね。バンドのライブ活動の拠点が吉祥寺マンダラ2だったんだけど、当時の吉祥寺マンダラ2のマネージャーが小倉さんだった。

弾丸

話しを戻しましょうか。

西垣

よく脱線するね。

弾丸

ははは。
で、オックンは?。

西垣

オックンはね、当時の会社の部下が紹介してきたんだ。ボイパーをやる変わった学生がいる。ということで。そこで会って話してみると「大学を休学して、今、どうしたら音楽で喰っていけるか模索中です」的な相談を受けたのよ。
オランさんはインディーズだけど自社のレーベルからレコードが出せないかどうか、とか話していたのね。
で、二人とも、相談している中で「まずはライブ活動しながら、互いの着地点を見つけましょう」的なことで、参加してもらったかんじかな。
特にオックンのボイパー・スタイルは、ライブで、生で、お客さんに見せた方がインパクトがあるからね。お客さんがどう反応するか知りたかった。

弾丸

オックンには音楽以外の役回りもしてもらってましたね。

西垣

関西の子やからね。血に「お笑い」のDNAが流れているというか、サービス精神は旺盛だからね。
彼も『ハモネプ』で注目を浴びるまでは、まだ先がどうなるかわからない状態だったから、「何でもやってやろう」という貪欲な姿勢だった。
今、芝居ぽいものにも出てたりするじゃない。弾丸で鍛えられたこともあるんじゃないかな。

弾丸

女装もしたしね。

西垣

ははは。一番年下だったからね。女装したら可愛いんじゃない。ていうことで。
最初は抵抗があったかもしれないけど、マキちゃんのかぶりものと同じで、別のキャラを作る。というかんじが面白かったんじゃないかな。タレント性がもともと高い人だからね。
最近は気象予報士の資格を活かして番組に出ていたりするけど、RAG FAIRの中では役回りがあるのか、ちょっと後ろにひっこんだクールなキャラをしているよね。根は「関西の子」やからね。活かしてほしいですね。

弾丸

メンバーが増えていった理由は?。

西垣

最初の「朝までライブ」って4時間半程あったから、各自の負担が大きかったこともある。休む間がないというか。
それにからみの箇所には女性陣がほしい。とかね。
後、ライブ予定日に仕事が入って出られなくなったとか。じゃ、違うメンバーで内容を組み直そう。とか。

弾丸

2ndシーズンの出演者はどうなるの?。

西垣

1stシーズンのメンバーは各自に問題がないかぎりはそのまま構成メンバーだと思っているけど、休止している期間にみなさんそれぞれの人生というか、方向性が違ってきていたりするからね。無理強いしてもつまんないじゃない。
それに弾丸も、進化というか、内容次第で出演者の組合せを変えていきたいのね。新しいメンバーも増やしたいし。
出演者についてはその都度調整していくことにはなると思う。ネットラジオ版も動くからね。


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